2011年1月18日火曜日

クラスメイトの訃報

学生時代のクラスメイトの訃報が舞い込んだ。
原因は心筋梗塞。
20代最後の年だった。
国内自殺者数と雇用
これまで死について深く考えたことはなかったが、国内の自殺者数が13年連続で3万人を超えている事実も鑑みると真剣に死という現実を直視する機会になった。

自殺原因の一位は健康問題となっているが、これは経済・雇用問題が真因だと私は考えている。
硬直化した日本的雇用慣行のなかでは、病気などを患って一度無職になると復帰したくてもできない現実がある。
無職になれば人間としての尊厳が失われ、生きる意義を見いだせなくて自ら命を絶つ人もいるだろう。
職を失うことへの恐怖心からいわれなき侮蔑やハラスメントを受けながらも耐え忍び、鬱病を患う人もいるだろう。
雇用の流動化を進めなければこういった人達がさらに不幸な境遇に立たされることになる。
日本経済の失われた20年と自殺者の増加に因果関係の有無があるかどうかは不明でも、相関関係があることははっきりしている。
ドメスティックな社会が日本の強みだという意見もあるが、13年間で40万人以上もの自殺者を出したこれまでの社会のあり方が正しかったのか、自ら命を絶った人達が幸福だったのかどうか私には大いに疑問だ。
この不況は一時的なものだと考えている人には残酷かもしれないが、世界の構造変化に日本社会が対応しない限り経済も自殺者数も改善することはないだろう。

生きる目的
巷ではカツマーと呼ばれる人達がいる。
他人の言いなりになり、他人の考えを真似、他人になりたいとさえ考える。
こういった人達を見るとスティーブジョブスのスピーチを思い出す。
「他人の人生を生きるな」
「他人のドグマに囚われるな」
無論、それがカツマーにとって幸せなのなら何も問題はない。

他人の人生を生きるぐらいなら、自己の存在など要らないとさえ私なら考えるが。

金、地位、名誉、自尊心、虚栄心というものは死んでしまえば何ら意味を持たない。
たぶん人生で最も幸福を感じるのは、信念と情熱を注ぎ込むことができる仕事を創り、成し遂げることなのだろうと思う。
まだなにも成し遂げていないから確信は持てないけれど。
人から見下され、馬鹿にされ、無謀だと罵倒され、仮に失敗するとしても私ならチャレンジするほうを選ぶ。
悔いのない人生を送るために。

まぁ、勝算がなければチャレンジしませんけどね。

死について見直す機会を与えてくれたクラスメイトに感謝し、
ご冥福をお祈りします。

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